|
|
| 2005年 |
|
MACHINE :
F2005(3リッターV10)
マシンデザイン :
ロリー・バーン
DRIVER :
ミハエル・シューマッハー(No.1)
ルーベンス・バリチェロ(No.2) |
|
 |
 |
| HOT WHEEL 1/43 F2005 |
| シューマッハーがチャンピオンから陥落。アロンソ(ルノー)がチャンピオン。 コンスタラクターズもルノーが獲得。 |
車名は2005年用のマシンからネーミング。
2レースで1基のエンジンを使うルールがスタート。そしてタイヤのルールも過酷になった。予選から決勝まで、1セットのタイヤしか使えないことになったのだ。
フェラーリは、第8戦カナダGPまでなかなか勝てなかったが、第9戦アメリカGPでミシュラン勢14台がタイヤの安全上の問題からフォーメーションラップ終了後に前車ピットイン。ミシュランのこの抗議も認められずリタイア扱いとなり、わずか6台のブリヂストン勢(フェラーリ、ジョーダン・トヨタ、ミナルディ・コスワース)のみのレースとなった。優勝したのはもちろんシューマッハ。シーズン初勝利をあげることができた。
しかし、観客からは物が投げ込まれたり、早々とサーキットを後にする観客も多く、史上最低のグランプリと言えるのではないだろうか。
そして、2位でゴールしたバリチェロもシューマッハーに肉薄していたが、チームからシューマッハーを抜かないようにチームオーダーが出ていたのではないだろうか?表彰台での不満そうな顔はこの事も関係していたと個人的には思う。
その後もフェラーリとシューマッハー、もちろんバリチェロも苦戦を続け、ついに21世紀になってから初めてチャンピオンの座を明け渡すこととなってしまった。コンストラクターズでもルノー、マクラーレンに大きなポイント差を付けられた3位に転落した。
シーズン末をもってバリチェロがHONDAに移籍。フェリペ・マッサが2006年からフェラーリドライバーとなることが発表された。バリチェロはシューマッハーのセカンドドライバーであること、アメリカGPの件が大きく関係していると思うのだが・・・。アーバインやアルボレート、古くはプロストやラウダなど、揉め事に嫌気が差して移籍していくドライバーが多かった。
ちなみに、第7戦ヨーロッパGP(ニュルブルクリンクサーキット)では、タイヤのルールによるアクシデントがライコネン(マクラーレン・メルセデス)を襲った。
残り数周のあたりからライコネンの右フロントタイヤのフラットスポットがテレビでもはっきり見え始めた。マシンのバイブレーションは相当なはずだ。しかしルールによりタイヤ交換は認められていない。危険でも走り続けるしかない。そして最終ラップの1コーナーでついに右フロントサスペンションが悲鳴をあげ大破。そのままクラッシュリタイア。
この件が関係しているのだろう翌年2006年からタイヤ交換が復活した。
2005年シーズン終了後に、「ジョーダン」「ミナルディ」が撤退。
「ジョーダン」→「ミッドランドF1」
「ミナルディ」→「トロロッソ」
|
|
|