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| 2001年 |
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MACHINE :
F2001(3リッターV10)
マシンデザイン :
ロリー・バーン
DRIVER :
ミハエル・シューマッハー(No.1)
ルーベンス・バリチェロ(No.2) |
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| NewRay 1/32 2001イタリアGP Version |
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HOT WHEEL 1/18 F2001 LAUNCH EDITION 入手方法→ |
HOT WHEEL 1/43 F2001 |
| シューマッハー2年連続チャンピオン。コンストラクターズ・タイトルも3年連続。 |
「F2001」。前年に続き分りやすいネーミング。2001年のマシンです。
前年の2000年、念願のドライバーズタイトルをミハエルが獲得し、ついにカーナンバー「1」がフェラーリのマシンに付けられた。
前回1996年のカーナンバー「1」は、ベネトンから移籍してきたミハエル・シューマッハーが持ってきたカーナンバー「1」 。
前々回1990年のカーナンバー「1」は、マクラーレンから移籍してきたアラン・プロストが持ってきたカーナンバー「1」
。
しかし、今回は本当の意味でのカーナンバー「1」です!
1980年のジョディ・シェクター以来のフェラーリドライバーのチャンピオン獲得のカーナンバー「1」なのです。
さて、2000年シーズンに活躍したF1-2000を改良してきたロリー・バーン。ハイノーズからローノーズへ変更してきました。フロントウィングも中央部分が湾曲した複雑の形状になっています。
パオロ・マルティネッリが中心となって開発された新型のV10エンジン(ティーポ050)は、前年型(ティーポ049)よりコンパクトになり、重量もついに100Kg以下になったと言われている。これによりリヤエンジンカウルを低くすることができ、ロリー・バーンのデザインの自由度も上がり、空力面でも有利になった。
リヤエンジンカウルの上方排気システムの後部にまでグラデーションを施し、排気の汚れが目立たないようにしている。流石、フェラーリそこまで気にする!
また、横方向からのクラッシュテストが厳しくなり、サイドポンツーンが長く高くなっている。
リヤウイングのフラップ枚数の制限規定がスタートしたり、フロントウイングのエンドプレートにまで制限が設けられたりFIAのダウンフォース減少にかける執念が感じられる。
1997年からザウバーに昨年型のV10エンジンを提供しているが、2001年も引き続き提供。
さらに、フェラーリは前年プジョーエンジンで苦戦したプロストGPに対してカスタマーエンジンを提供。プロストGPのドライバーは、1991年のフェラーリ時代の師弟関係、ジャン・アレジ。期待されたが結果が残せず、シーズン途中でアレジは、ジョーダン・ホンダに移籍。アレジはシリーズ終了後に引退することとなった。
開幕のオーストラリアGPから波乱の幕開け。予選でミナルディやジャガーがクラッシュし赤旗中断。決勝でもジャック・ビルニューブ(BARホンダ)とラルフ・シューマッハ(ウィリアムズBMW)が接触。ビルニューブのマシンが宙を舞い大破。この事故でオフィシャルの1人が死亡。観客も7人が負傷した。この年デビューのキミ・ライコネン(ザウバー・ペトロナス)が6位フィニッシュ。
NewRay 1/32 2001イタリアGP Versionの画像は、第15戦イタリアGP(2001年9月16日)に出走した「F2001」。(ミニカーの詳細はミニカーページで)
同時多発テロ直後で開催されるのかギリギリまで分からなかったイタリアGPでしたが、予定通り開催されました。その際にフェラーリは犠牲者に哀悼の意を表して、マシンやウェアからすべてのスポンサーロゴをはずしました。そしてノーズを黒くして喪章としました。
フェラーリの結果はバリチェロ2位。シューマッハー4位。
優勝はモントーヤ(ウイリアムズ・BMW)。
しかし、表彰台でのシャンパンファイトも自粛されました。
シーズンは結局前年に続き、シューマッハーが年間9勝。アラン・プロストの持つF1最多勝記録(51勝)を更新し、自身4度目のチャンピオンを2年連続で獲得。
ドライバースポイント123ポイント獲得。2位クルサード(マクラーレン・メルセデス)が65ポイントですから、大差をつけての圧勝でした。
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