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| 1990年 |
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MACHINE :
641(3.5リッターV12)
641/2(3.5リッターV12)
マシンデザイン :
641:ジョン・バーナード
641/2:スティーブ・ニコルス エンリケ・スカラブローニ
DRIVER :
アラン・プロスト(No.1)
ナイジェル・マンセル(No.2) |
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| ONYX 1/43 641 |
| 日本GPでプロスト(フェラーリ)とセナ(マクラーレン)が接触。セナのチャンピオン決定。 |
最強マシン「641」誕生。「641」は開発コードネームのため「F190」と呼ばれる場合もある。
しかし、バーナードがシーズン開幕後、すぐに離脱。サンマリノGPから641/2を投入。この時代のグランプリではヨーロッパラウンドの開催に合わせて改良型のマシンが登場するのが一般的だった。
マクラーレンからアラン・プロスト移籍でカーナンバー1がフェラーリに付けられた。1985年に当時のフェラーリドライバー、ミケーレ・アルボレートのチャンピオン獲得を阻止したアラン・プロスト。1998年にはマクラーレンホンダで年間16戦15勝し、フェラーリを叩きのめしたアラン・プロスト。ティフォシはそれでもフェラーリ復活の為にプロストを受け入れた。しかし、それでも混迷は続いていく・・・。
この年に登場した空力パーツとして「ボーテックスジェネレーター」がある。フロントウイング翼端板からフロントタイヤ内側に空気の流れを調整するパーツが付いた。1993年まで「ボーテックスジェネレーター」の形状は進化していった。
サンマリノGP。マンセル。タンブレロ。これでわかる人は相当のF1通。
マンセルが1位のベルガー(マクラーレン)を追いかけタンブレロで高速スピン(約270キロと言われている!)。が、しかし、あっという間にスピンから復帰。その後さらにペースをあげてベルガーを追いかける。すごい。なのに、その後エンジントラブルでリタイアしてしまうのがマンセルらしい。プロストとの関係に疲れた(?)マンセルが、イギリスGPで引退表明。その後、撤回。これもマンセルらしい。
ちなみに、フランスで勝ったフェラーリはグランプリ100勝を記録。
日本GP。1コーナー。セナ。プロスト。接触。その後セナ自身が「あれは89年のシケインの復讐」と断言。
接触でセナがチャンピオンを決定するという後味の悪いものになった。
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