アカクテハヤイフェラーリF1
HOMEF1グランプリの歴史フェラーリのクルマ達ミニカープラモデルペーパークラフトフェラーリF1ドライバー年表リンク旧ブログ新ブログ
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014

 




1989年

MACHINE :
640(3.5リッターV12)

マシンデザイン :
ジョン・バーナード

DRIVER :
ナイジェル・マンセル(No.27)
ゲルハルト・ベルガー(No.28)
Ferrari F189 (640) LateVersion

サンマリノGP、タンブレロでベルガーがクラッシュ炎上。

88年限りでターボが禁止されたので、全チーム自然吸気エンジンとなる。NA(ノーマル・アスピレーション)元年と呼ばれる。

フェラーリは画期的マシン「640」(V12エンジン)を投入。88年からチームに参加しているジョン・バーナード作。セミオートマ搭載。今でこそ当たり前のセミオートマですが、F1に初登場です。デザイン的にも特筆すべき点が多く。かものはしノーズと呼ばれたフロントノーズ。コークボトルと呼ばれたサイドポンツーンからリヤカウルへの曲線的なライン。

640は開発用のコードネームで、F189とも呼ばれる。インダクションポッドの低い前半戦のものと区別する為、後半戦のものは「ハイ・インダクション」と呼ばれる。

アルボレートの移籍に伴い、ナイジェル・マンセルとゲルハルト・ベルガーのコンビになる。

デビュー戦でマンセルが勝利!これは、いけると思ったのですが、セミオートマが熟成していなくて、ギアボックストラブルでリタイアが多かった。

サンマリノでは、あのタンブレロでベルガーのマシンがクラッシュ炎上。タンブレロへの進入時にサスペンションが破損したのだ。幸い命に別状はなかったが、次戦のモナコGPはマンセルのみ出走し、ベルガーは欠場した。

ポルトガルGP。マンセルはピットインしたのだが、止まりきれず、ピットを通り過ぎてしまった。ここでマンセルはバックしてしまう(違反です)。しかし、レースに復帰。黒旗がでているのに走りつづけ、セナを巻き込んで、2台ともリタイア。マクラーレン、セナともに相当怒ってました(当たり前だよね)。セナはチームメートのプロストと争っていたので、少しでもポイントが欲しかったのです。ちなみに、次のGPはマンセル出場禁止でした。

日本GP。シケインでマクラーレン同士のセナとプロストが接触。プロストのワールドチャンピオンが決定。

セナ・プロの確執がはじまったのは、この年でした。みなさん、二人の仲の悪さは有名で知ってるでしょうが、その発端が何だったか覚えてます?第2戦サンマリノGP。レース前にセナがプロストに「スタートの1コーナーでは無理に争わない。」と言った。なのに、セナは約束を破った。プロストの抗議に対してセナは何も反論できなかった。この一件で、二人は決裂した。

フェラーリは前年にエンツォが亡くなったので、フィアットの傘下に入る。チームディレクターにチェザーレ・フィオリオ就任。

この年は、フジテレビF1中継に古舘伊知郎登場。F1ファンのブーイング多数。自分も大嫌いでした。さすがにフジテレビに抗議の電話はしなかったけれど。しかし、第1戦ブラジルGPのあと、1000本以上も抗議の電話があったらしい。

   

<< 前の年 ヒストリートップ 次の年>>