« 厳密には「412T1B」です。サークルK・サンクス限定京商フェラーリミニカー「412T1」。 |メイン| 制作記録 その7 お台場シェルミュージアムの「フェラーリF2004」のペーパークラフト(1/20)! »
2008年6月 5日
フェラーリ246F1のエピソードいろいろ。アシェットのミニカーとともに・・・。

横浜のT氏から譲っていただいたアシェット婦人画報社「フェラーリコレクション」 No.18 『フェラーリ246F1(1/43)』。 T氏ありがとうございます!
フェラーリ246F1(1958年)
カーナンバー:4
ドライバー:マイク・ホーソーン
出走GP:第5戦フランスGP
リザルト:予選1位・決勝1位
アシェットさん! 台座が何故か「F246」になってますけど~。

1958年、マイク・ホーソーンはF1世界選手権でドライバーズ・タイトルを獲得した。最終戦モロッコGPで2位入賞でチャンピオンを獲得。
でもね。最終戦のホーソーンのカーナンバーは「6」。しかも「256F1」。ラスト2戦は排気量アップした「256F1」で出走したんですよ。
このシーズンのフェラーリは時代遅れのフロントエンジンのマシン。他チームのミッドシップには太刀打ちできませんでした。
チャンピオンを獲得できたのはホーソーンの堅実な走りのおかげでしょう。1958年のF1世界選手権は全10戦。ホーソーンは優勝こそ1回でしが、2位5回、3位1回、5位1回。リタイヤはエンジントラブルの2回だけと言う安定した走りでした。4勝したスターリング・モスに1ポイント差をつけてのチャンピオン。
近代F1でもシーズン1勝でワールドチャンピオンは理論上不可能ではありませんが、4勝の人を差し置いて、1勝でチャンピオン獲ったらブーイングかも(笑)。
ちなみにアシェットが今回モデル化した「246F1」は、ホーソーンが唯一優勝した第5戦フランスGPのマシンだと断言出来ます。
何故なら、ホーソーンはGP毎にカーナンバーが違ったのです! カーナンバー4はフランスGPだけ!
20→38→5→16→4→2→3→22→14→6。
1950~60年代は当然の事のようにカーナンバーが変わりましから。

ちなみに、この年からコンストラクターズ選手権もスタート。こちらは残念ながら2位。
1958年はフェラーリドライバーが2名もレース中のクラッシュで死亡した。
ルイジ・ムッソ(フランスGPでクラッシュ死亡)
ピーター・コリンズ(ドイツGPでクラッシュ死亡)
仲の良かったコリンズの事故死にショックを受け、ホーソーンは58年限りで引退。しかし、あろうことか翌59年1月一般道の事故で死亡してしまう・・・。合掌。

246F1のエンジンは65度V型6気筒2.4リッター。ディーノエンジンです。エンツォは息子のディーノが設計したと言っているが、本当はヴィットリオ・ヤーノ設計でディーノは助手だったのではないかとも言われている。今となっては謎のまま。
ちなみに「246F1」の進化型「256F1」でフェラーリのフロントエンジンは終了。次のマシンはディーノV6のミッドシップマシン「156F1」! シャークノーズのあの156F1ですよ!
これだけのエピソードがあると、フェラーリ246F1を見る目も変わるんじゃない?
オールドフェラーリもいいものですよ。
投稿者 shigeo : 2008/06/05 | 【category:アシェット フェラーリコレクション】 | アカクテハヤイフェラーリF1のRSSについてこの記事についてTwitterでつぶやく
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.akakutehayai.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/807